DB004100007402 |
中世後期における摂津国山田荘 |
The Analysis of Yamada-so in late medieval Settsu Japan |
本稿で取り上げるのは、かつて神戸市北区に所在した荘園の一つ摂津国山田荘である。本稿では、山田荘が登場する平安期を基点として、終焉を迎える織豊期までを取り上げ検討する。その中で、平安期から室町期については、山田荘と周辺の三荘園(淡河、押部、八多)との相論を踏まえ、材木資源が争点になったことに触れ、荘園間での紛争解決が困難になったことから、守護権力を必要としたことを論じた。戦国期以降、山田荘は別所氏の関係者が代官職を務めることによって、安定的な年貢の確保を可能にした。織田信長登場以後は、基本政策である寺社本所領安堵によって、年貢確保をいっそう安定的にした。しかし、別所氏が信長に叛旗を翻してから、年貢の確保は困難になったと考えられる。別所氏は信長の傘下に収まって以後、先述した信長の施政方針に従っていたが、やがてその方針に従えなくなり、叛旗を翻したと考えられる。 |
公家領, 寺社領, 戦国期荘園, 別所氏, 織田信長 |
Departmental Bulletin Paper |
日本語 |
渡邊大門 |
WATANABE Daimon |
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 |
佛教大学大学院 |
18833985 |
41 |
19 |
34 |
2013年03月01日 |
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https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DB/0041/DB00410R019.pdf |
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_DB004100007402 |
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