黄山谷、即ち黄庭堅は、詩人・書家として名高いが、孝子としても知られた人物であった。彼の孝行は詩文集や伝記から窺えるが、広く知られた孝行を上げるとするならば、二十四孝に描写された、「溺器を滌う」、即ち母親の大小便で汚れた器物を手ずから洗う孝行に尽きるだろう。この孝行が人々に信憑性をもって受容されたことは、二十四孝の流布以後、中国の地方誌などに、黄山谷を模倣したとみられる孝子の話が記述されることから推定出来るし、また日本でも御伽草子『二十四孝』に、高名な詩人の行為として紹介されることから推して、事実として受け取られたようである。しかし実際のところは、万石君の故事「親の中裙廁楡を取り身自ら浣滌す」を基とする虚構であって事実ではないと考えられる。なぜこのような認識が生じたのか、その理由を黄山谷の「溺器を滌う」に関する文献を中心に考察する。 |