ダルメキールティはHBにおいて眼、対象、光、注意力などから単一な眼識(感官知)の生起に関して詳細に論じ、また結果としての眼識は原因に対応した種々な特殊性(visesa)を有することを表している。これに加えPVSV ad PV I-73~76,82,83,PV III-534において、単一な因から多なる結果が生起することを論じ、この因果間の整合性として原因の区別無区別が結果の区別無区別を設ける、すなわち肯定的随伴(anvaya)、否定的随伴(vyatireka)の成立を主張する。同類の諸原因から単一な結果が、また単一な因から多なる結果が生起することと因果の随伴関係とが、どう一致するかはアポーハ論により論じられる。この立論の背景には、クマーリラによる普遍(samanya)実在論がある。彼は普遍が実在しなければ、諸対象(原因)から単一な知(結果)が生起することはあり得ないとディグナーガのアポーハ論を論難する。それに対しダルマキールティは答えている。このダルマキールティのアポーハ論に基づく因果論は、TS,TSPにおいてシャーンタラクシタ、カマラシーラによって継承され、クマーリラへの批判に活用されている。他方、中観思想の確立を論じるジュニャーナガルバのSDV ad SDK14を始めとする中観思想を確立する諸論書(SDP, Mal, SDNS, AAA)にあっては、ダルマキールティのアポーハ論に基づく因果論は、悉く批判され、四極端の不生起因による無自性論証としてハリバドラに至るまで師資相承されるものである。またダルマキールティのプラマーナ論はSDK8, 12の実、邪世俗の峻別の基準として活用され、後期中観派とはダルマキールティのプラマーナ論を実世俗として導入する学派である。 |