DB004500008630 |
唯識はいかに他者を語るか |
How Does Vijnapti-matrata Talk about Other? |
唯識において他者という存在は、アーラヤ識を基盤とする識=表象として自己と同程度の実在性を持つ。唯識における自己と他者は、共に識として存在し、同じく識である環境世界=器世間を共有し、互いに影響を与え合いつつ共存している。よって唯識とは、自分の心しか存在しないという独我論ではなく、自己も他者も器世間も他ならぬ識としてのみ存在するという唯心論である。本稿は、『阿毘達磨大毘婆沙論』及び『大乗阿毘達磨集論』における「共業」から始め、『摂大乗論』における「共相の種子」、『唯識二十論』に見られる有情どうしの交流と辿りながら、唯識における「他者」について考察し、有部の「共業」が唯識の「共相の種子」へと移行したこと、また有部において心の外にあった器世間が唯識において心の中へ取り込まれたこと、さらに有情どうしの交流が物質的身体による交流から、識と識との交流へと変化したことを明らかにする。 |
共業, 共相, 器世間, 唯心論, 独我論 |
Departmental Bulletin Paper |
日本語 |
近藤伸介 |
KONDO Shinsuke |
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 |
佛教大学大学院 |
18833985 |
45 |
35 |
48 |
2017年03月01日 |
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https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DB/0045/DB00450L035.pdf |
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_DB004500008630 |
公開中 |