『逢坂越えぬ権中納言』の後半、主人公が女君に涙ながらに思いを訴える場面における「さまよき人もなかりける」という表現は、主人公を賞賛するものではなく、文字どおり醜態を述べていると解釈すべきである。この表現は、『源氏物語』の同様の場面で夕霧や薫が「さまよく」振る舞っていること、また本物語の前半では主人公が「さまよき人」という印象を与えることとの対照においてなされたものである。『源氏物語』では薫らの「さまよき」態度が女性側から誠意に欠けると受け取られる場合があり、『逢坂越えぬ』は主人公を基本的に「薫型」の男君として造型しつつ、薫以上の魅力があることを、この表現によって述べようとしていると考えられる。 |