詩風転換以降、江戸で活躍した江湖詩社の詩人たちが生み出した詩語「松魚」の成立から展開を追った。松魚詠は寛政二年に刊行された柏木如亭『木工集』に収められているものが最も早く、「典衣」という表現が特徴的である。もともと衣を質に入れるという「典衣」は酒を手に入れるためにする行為または貧しさの描写に用いられる詩語であり、初鰹のような贅沢品を買うことに用いられるものではなかった。清新派と呼ばれた江湖詩社の詩人たちが真情を重んじて眼前の景物を詠んだことが、新しい表現を可能にしたのである。松魚詠が現れた寛政期、如亭と親しかった山東京伝が黄表紙や洒落本に袷を質入して初鰹を買うという表現を盛んに用いており、漢詩が戯作と同じ文苑で時流を敏感に反映していることがわかる。江戸の初夏を詠むのに用いられた「松魚」は化政期には定着し、旅先にあっては江戸人にとっての「蓴羹鱸膾」となり、幕末に受け継がれていった。 |