KG003100011794 |
宇治民部卿藤原忠文怨霊伝承攷 |
藤原忠文の怨霊化伝承の形成過程について考察する。忠文は平将門の乱の大将軍として従軍したものの恩賞が得られなかった。この決定を公卿議定の場で下したのは後の関白藤原実頼であり、忠文はこの人物を呪うあまり、子々孫々に祟る怨霊となったという。この逸話は、『古事談』をはじめ、中世の説話集の数々に収載されており、『源氏物語』に描かれる出来事の准拠であるとする古注釈も存在する。たしかに、説話の舞台は『源氏物語』の成立を遡る時期だが、説話の形成時期を見極めることなく、『源氏物語』とこの説話の関係を考察することは出来ない。本稿では、各説話集が収載する当該伝承のバージョンの中でも古態と思しき要素を抽出したうえで、(1)忠文の荘園「富家」が中世的再生を果たした時期の措定、(2)祟られた側である小野宮一族の衰滅の時期の推定、という二つの要素の検討から、説話の形成時期を十二世紀前半頃と判断した。そのうえで、成立の前後関係や引用被引用関係には拠らない、『源氏物語』と当該伝承との響き合いを看取した。 |
Departmental Bulletin Paper |
日本語 |
神原勇介 |
京都語文 |
佛教大学国語国文学会 |
13424254 |
31 |
175 |
195 |
2024年02月29日 |
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https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KG/0031/KG00310R175.pdf |
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