DO003300006433 |
唯識三性説に関する上田・長尾論争の問題点 : 〈単純構造〉と〈二重構造〉 |
初期唯識思想研究において、唯識三性説に関する上田・長尾論争は、未解決の問題の一つであるが、その、上田・長尾論争とは、簡単にいえば、認識の?対象?は、遍計所執性なのか、或いは依他起性なのか、という問題である。アサンガの『摂大乗論』(=MS)によれば、「能遍計があり、所遍計があるときに、遍計所執性がある」のであり、また「依他起性が所遍計(=parikalpya)」であって、構想作用による、概念化のはたらきを通して、依他起性から遍計所執性への「転換」がなされる、ということになるのであるが、長尾雅人の考え方は、以上のようなMSにおけるアサンガによる説明と符合する点が多い。それに対して、『唯識三十頌』(=TK)第17偈、第20偈、第21偈から考えると、能分別(vikalpa)は依他起性であり、それによって(tena)構想されたもの(yadvikalpyate)は、「遍計所執性に他ならない(第20偈)」とみるのが妥当であるようである。それゆえ、ヴァスバンドゥのTKは、上田義文の所謂「能縁が有(依他起性)であり、所縁が無(遍計所執性)である認識」という考え方を、支持しているようにも考えられる。本稿の目的は、初期唯識文献の中の思想的な分岐点をなすとみられる『中辺分別論』の中に、〈単純構造=TK型〉と〈二重構造=MS型〉とが混在している、ということを確認することを通して、上田・長尾論争の解決に近づくことに他ならない。 |
中辺分別論, 唯識三性説, アーラヤ識, 所遍計, 依他起性 |
Departmental Bulletin Paper |
日本語 |
北野新太郎 |
KITANO Shintaro |
佛教大學大學院紀要 |
佛教大学大学院 |
13442422 |
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13 |
2005年03月01日 |
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